さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

スポーツをやるヤツについて

スポーツをやる人達と決定的に話が合わなくなるポイントがあります。

 

多分見るからにわかると思うのですが、団体行動が苦手なんですよ。

 

なぜ、自分がしたくない時に何かをしなければならないのか。

 

したいことを我慢しなければならないのか。

 

根本的にこの2つの疑問は、大人になって能力があれば解決します。

 

つまり、人から求められ、経済的に成立することは基本的にしたい時にしたいことをしていいのです。

 

しかし、組織に所属してスポーツをやろうとすると、この根本的な原則は否定されます。

 

日本特有なのかもしれませんが、勝利やメンツといった事柄が最優先になるからです。

 

金を生まないことも、大多数の人が求めてないことも、勝利とメンツに繋がることであれば強制される。

 

僕は基本的にアナーキストで、経済とかクソくらえと思っていますが、ルールに沿って成功や失敗のベクトルがあることぐらいは理解しています。

 

だけど、集団として個を消さなければならない理由にはほぼほぼコミットできません。

 

気持ち悪いです。

 

カッコ良くなんかこれっぽっちも感じれない。

 

部活に入れば自分でスケジュールを決めさせて貰えません。

 

やりたくない練習をやりたくないタイミングでやっても、せいぜい競技が上手くなるだけです。

 

そこにコミット出来ない人は、弾かれるんですよ。

 

僕がギターを真面目に練習していたのは、やりたいことに必要だったからだし、お金を払って来てくれる人に対して、努力をすることが最低限の礼儀だと思っていたからです。

 

だから今はやらなきゃならないこと以外でギターを弾いたりしません。

 

僕は極端な性格でそういう気性なので、みんながみんなそうじゃなくていいと思うけれど、スポーツをやる人も、もっと自分が何を必要としてそのスポーツをやるのかを自覚すればいいのに、と思います。

 

本当に勝つためにやるのか。

 

上手くなるためにやるのか。

 

少なくとも僕はそうじゃなかったですよ。

 

好きな仲間で集まって楽しみたかっただけです。

 

そこに大人が絡むと、なんにも楽しくなくなった。

 

勝つとか負けるとか僕は関係なかった。

 

根本的に他人に興味がないので。

 

僕のスポーツに対する経験はそんな感じです。

 

ま、僕らの頃は水も飲むなって言われてましたからね。

 

楽しくなくて当然だし、そんなんで上手くなるにも限度がありますよね。

 

とりあえず、僕は根性とか精神論は嫌いじゃやいけど、個を消していくことに対しては何一つ共感出来ない。

 

夏になるとそういうことをよく感じさせられます。