さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

木屋町について

お久しぶりです。

 

本当に久しぶりに書いています。

 

何故か?

 

端的に言うと今暇で、そして少し酔っているからです。

 

僕は飲み屋をやっていて、もう少しでこちらの業界に来て10年になる感じです。

 

お酒を飲むという行為が、どんどんと廃れているように思います。

 

その行為が指す内容も時代とともに変化し続けています。

 

長い歴史の中で、一体本質的な部分がどう変化し、文化はうつり変わって来たのか。

 

個人的に大変興味があります。

 

ですが、こちらの業界にはあまりアカデミックな事柄に興味を持つ人が少なく、本質を理解しているであろう人の文献や資料に出会った事がありません。

 

なので、とりあえず僕が実際に見聞きして来た事を残して行こうかな、と思います。

 

もちろん、人が語った事、語り継がれて来たことばかりなので、事実を検証している訳ではありません。

 

ただ、昭和から現代までが、まだ息をしながら混じりあっている最後の時代な気がする今、そこに意味を感じれる人がいれば、と思います。

 

本当に京都の飲み屋は面白いです。

 

特に、木屋町

 

ここまで雑多なものが同時に存在する街が他にあるのでしょうか。

 

バンドをやっていた時に、色々な所に行き、沢山の人と知り合って来ましたが、こうまで混沌とした場所を見たことがないです。

 

似てるのは多分新宿のゴールデン街かな、とは思いますが、より雑味が多く感じます。

 

恐らくそれは、街が凄く狭い、という事なのです。

 

ゴールデン街のような場所に、かなりちゃんとしたオーセンティックバーがあり、鳥貴族があり、ゴールデン街よりも下世話で小汚いお店もある。

 

それらが混ざり合い、なぜかちゃんと、そして普通に、成立している。それが木屋町という場所です。

 

中々文章で書くのが難しいですね。

 

まぁ、そんな治外法権の蔓延るカオスな街のカオスなエピソードや歴史なんかをアテになる程度につまんで書いて行きたい、そういう事です。

 

それではまた、暇な日に。

差別について

昨今話題になっている差別について書きたいと思います。

 

まず、話をどういう観点・意味でしているのか明白にしたいので、僕のスタンスから書きますね。

 

僕は本当に他人に興味がありません。

 

皮膚の外側のありとあらゆることに、根本的に興味が持てない、いわゆるソシオパスな人です。

 

ですので、ありとあらゆる事象への捉え方が、自分(皮膚の内側)にとってどうなのか?という観点になってしまいがちです。

 

これは社会性の欠如という形で集団の中での生活で軋轢を生むわけです。

 

ルールの必要性を理解できない、他者の感情にコミットする必要性を感じれない等です。

 

結果、自分に対する他者評価を余りにも気にする必要がない、と早々に判断してしまったんですね。

 

形骸化したルールの無価値さや、無知で無能な人間の無価値さをわりと人生の序盤で断定してしまったというか。

 

大人になるに連れて、パブリックイメージの構築が必要不可欠であったから、色んなことを後天的に学び、社会におけるポジションを得たわけです。

 

で、です。

 

ここまで書けば大体わかると思うのですが、こんなやつには周りからのバッシングっていうのが起こるんですよ。

 

それはつまり、異質なものを排除するという、本能的な防衛反応だと思います。

 

ただただ僕がそういうものに価値を感じなくて、音量やトーンや表情や人数の大小に興味が持てず、その言葉の本質しか追いかけないという特殊な癖を持っていたので、気にならなかっただけなんですよ。

 

つまり、嫉妬や恐怖があるのだな、と。

 

僕に対して、でもあるし、僕の向こうにある何かに対して、でもあるわけです。

 

つまり、今や社会において強者のポジションの僕ですが、被差別側のポジションだったんですね。

 

けどね、例えば白人と黒人の間で起こることってのは、そのレベルじゃないんですよ。

 

はっきり言えば無知で無能なやつなんか基本無視で相手にしなくていいし、必要なら社会的に圧倒してマウント取って黙らせればいいんですけど、そういうレベルじゃない、もっともっと野蛮なやつらがめちゃめちゃ沢山いるってことなんですよ。

 

無知で無能な人間が武装して治安維持をやってる。

 

肌の色が違うと全く違う動物だと思ってるやつが、嫉妬や恐怖ってモノサシで生きてるんですよ。

 

知らないものへの恐怖、違うことの恐怖。

 

これは人間が自然界で優位性を保つために必要なことでした。

 

多分、遺伝子に刻まれてる。

 

僕みたいなぶっ壊ればっかだと、すぐに北斗の拳みたいな世界になってしまうんすよ。

 

日本に住んでると、自分達が被差別側ってこと忘れがちですけど、周りと違うってのを理由にして差別化し、排除しようとするムーブってごく普通にやってるし、きっと黒人社会の中でも同じことは起こってる。

 

根源的な問題は同じ、嫉妬や恐怖だから。

 

なんで、とりあえず、こういう問題を考える時に、無知で無能なやつらは、もう一旦無視しましょう。

 

余りにも話が進まな過ぎるし。

 

それから、自分の心の中にある、本能的な拒否感とか、恐怖心を、一旦肯定しましょう。

 

だって仕方がないからです。

 

その上で、社会で何が起こっていて、それに対する自分のスタンスをどうするのか、決めましょうよ。

 

どうしても無理、嫌、気持ち悪いって人は、絶対いると思います。

 

それを理性や理論で、少なくとも表に出さないくらいまでは持っていってください。

 

別に、人種に対する差別の話だけじゃないんすよ。

 

いじめとか、そんなのを大人になってもやってるやつは、根本的にアタマかココロのよえーやつだしだし、嫉妬や恐怖にかられて行動しちゃうような自制の効かないやつと仕事したり生活したりするのがマジで不愉快だからです。

 

よろしくお願いします。

 

 

 

P.S.

 

で、やっぱ本能や心を理性で押さえつけるとしんどいでしょ。

 

無理し続けることはストレスなんですよ。

 

そうなったら、京都の木屋町に来て、テキーラをしこたま飲んでください。

 

夜の街は酔っ払いの戯言にはとても寛容です。

 

金払いと飲み方さえ良ければ、わりと許容してくれるんで。

コロナと営業自粛について

本当に大変な状況になってまいりました。

 

自営業の我々も抜き差しならない状況になってまいりました。

 

営業を自粛する店舗やグループ企業も出てきております。

 

ですが、わたくし、本日より誕生日イベントってのをやらせていただきたいと思っております。

 

ウチは先々月開業したばかりで、開業に使ってしまい貯蓄もありません。

 

今多額の借金を背負うことになれば、私の生活がままならないことになります。

 

この状況がいつまで続くかもわかりません。

 

今月だけなら、何とかなるかもしれません。

 

ですが、来月以降より状況が悪化していてもおかしくなく、営業の停止が3ヶ月、半年となれば、少なくとも僕は首を括るしかありません。

 

これは、切実なお話です。

 

今の日本の社会保証の在り方では、明日の自分が首を括る可能性と、コロナによって人が亡くなる可能性とをリスク計算するしかないのです。

 

これは、僕以外のあらゆる経営者が同じ状況だとおもいます。

 

そして、ありがたいことに僕のお店には僕に死んで欲しくないという方が集ってくださっています。

 

ですので、営業が続けれる限り営業させていただきます。

 

クソコロナと、状況をわかっていない行政に中指立てつつ、生きるか死ぬかわからんレベルでがんばるしかない。

 

ほんまにマジでイカれてる。

感情のマネジメントについて

男性は基本的に感情と理性がパッシブなので、細かい切り替えを意識的に行う必要があります。

 

社会性は根本的に人の欲求を制限する方向で設定されているので、感情と理性が2つともゴーサインを出すのって、実は少ないように思います。

 

あまりに感情的な人は男女問わず厭われます。

 

人によっては熱量に対して熱量で答えることが出来る人もいますが、それには文字通りエネルギーがたくさん必要です。

 

ですが、敢えて提案したい。

 

感情を顕にしたい。

 

して良い場面・場所を増やしたいんですよ。

 

その昔は2ちゃんねるとかがそういう場所でしたよね。

 

今はTwitterとかなのかな。

 

そういう場所がないと、みんな抱えきれなくなって、色んな不具合出るんですよ、マジで。

 

で、個人的にはなんですけど。

 

ちょっと最近構想してるんですが、「本当に」売れないバンドやりたいなって思ってます。

 

本当に、とは、僕も人間なので色々な感情や思いや経験があるんですが、その中でも売れそうな題材ってあるわけですよ。

 

そういうテーマを一切扱わない。

 

ニーズがないものばかり曲にして歌うっていうのをやりたいな、と。

 

いい感じの恋愛とか仲間とか絆とか、そういうの一切ナシ。

 

僕の中の人から好かれない部分だけで構成される、そういう歌をやってみてぇな、と。

 

ただ、それには一つハードルがあって。

 

自分と同じぐらいぶっ飛んでるやつとバンド組みたいんすよ。

 

自分と同じレベルのクズが、全然見当たらないので、まだやれるかわからないんですよね。

 

なんでこんなことを構想してるかっていうとね、やっぱり僕もそういうモノを吐き出す場所が欲しいんですね。

 

感情をマネジメントしていかないと、メンタリティが保てないんじゃないかって思ってるんですよ。

 

僕ら男性はパッシブなので、理性はオールオッケー、感情は全然バッドだよ、ってことがめちゃめちゃあって、これキツいぜ?ってのを理性さんが認めてくれないんすよ。

 

だから、大人になったらとりあえず色んなことを飲み込むんですけど、自分に対しても否定をしなきゃならない時も多々あるんですよね。

 

その辺女性って強くて、アクティブに感情と理性が作動してるから、嫌だよね、って部分で自分に嘘ついてないように見えるんですよ。

 

じゃあこれどんどんエネルギーが溜まってしまった時にどうなるの?と。

 

それが僕が以前に書いた、死ぬか、捕まるか、そういう話になってきます。

 

僕みたいなアタマおかしいやつは特にね。

 

アタマおかしいのにエネルギーの量が凄いんすよ、僕。

 

これが管理されずに爆発したら、って思うとめっちゃ怖いです。

 

 

 

世の中のアタマおかしい勢のみなさんは、どうやってマネジメントしてますか?

 

ちょっと参考に教えてください。

JOKERとTHE KING OF COMEDY

先日、JOKERを観ました。

 

社会が人を狂わせる映画、と言えるかとおもいます。

 

人の在り方に対して、社会は一定の力で形を決めようしてきます。

 

形を保たないものはコントロール出来ないからです。

 

人が社会に狂わされていく様を観て、どことなくマーティン・スコセッシ監督のキングオブコメディを連想しました。

 

こちらは、狂った人間が社会に対して脅威となる様を観せてくれる映画です。

 

この2つの映画の差分は、はっきり人と社会の関わりが変化したことを示唆していると思います。

 

つまり、ほんの30年ほど前までは、おそらく常識とか当たり前とか、そういった目に見えず明文化されていないものをふわっと共有し、なのに大上段に構えて人が人を否定していたということだと思います。

 

環境や風習や宗教や歴史で、常識とか当たり前という感覚、モノサシは全く違ってきます。

 

それが、情報化が進んだことで加速し、個人レベルで違ってきている。

 

つまり、環境が個人によって全く違う。

 

時として歴史も、その解釈が全く違っている。

 

そんな社会で、我々は本当に狂った人間を識別出来るのでしょうか。

 

もちろん、互いが互いに違うということを受け入れるための、メンタリティのマージンやリスクヘッジを取るということを皆がしていると思います。

 

だけれど、他者を否定するということがどれだけ人を追い詰め、殺していき、狂わせるのかということにもっと危機感を持つ必要がある。

 

狂ったように見える人間は、まず間違いなく欲望や本能にダイレクトな行動をとる人間です。

 

追い詰められた人は本能で身を守る。

 

これを読んでる方にも、本能と社会性が軋む音が聞こえるでしょう。

 

それは悲鳴であり、あなたを否定する社会の声です。

 

人には否定された本能や欲望や感覚を肯定してくれる空間や人が必要なんです。

 

実体のない虚構であっても、心が満たされればそれで問題ないんです。

 

肉体は精神のインターフェースでしかないから。

 

本当に狂った人間が狂った行動を取るのは、滅多にありませんが、一つの事象が社会に対して深刻なダメージを与える可能性は往々にしてあります。

 

それまでに、社会は心に対するセーフティネットを準備する必要があります。

 

狂った人間とは、狂ったように見えるだけの、自分と何ら変わらない同じ人間でしかないからです。

 

自分が常識的な人間であると自信があるとしても、社会の構造が違う場所へ行けば狂人として扱われるってことぐらいは想像出来ますよね。

 

そういう意味では、世界に先駆けて情報化と高齢化が進んでいる日本は、一番狂ってるやつが多いと言えると思います。

 

クソジジイどもは被害者ヅラする前に、加害者である自覚を持てよ。

見てる先を見せてくれるバンドがマジの良いバンド

みなさんJUDY AND MARYは好きですか?

 

僕はめっちゃ好きです。

 

理由はカッコいいからです。

 

あ、乱暴でしたね。

 

カッコいいのはなんでかって話をしますね。

 

JUDY AND MARYって、めっちゃ攻めてるんですよね。

 

売れようてしてて、かつ攻めてる。

 

ミュージックファイターとか、シングルチャートのトップ10にぶち込んでる時点でほんとにエグい。

 

そばかすとか、ずっとギターソロだし。

 

でね。

 

ほんとにカッコいいバンドってのは、世界観があるんですよ。

 

それは、設定とか、キャラとかじゃなくね。

 

どこ見てんのか、何を見てんのかって、その景色を感覚的に共有してくれるんすよ。

 

「THE POWER SOURCE」('97)、「POP LIFE」('98)、「WARP」('01)と、最後の4年間で3枚のアルバムを出してるんですけど。

 

僕はこの3枚を、夢に手が届いた1枚、夢破れた1枚、ベストスコアを狙って取った1枚、と考えてます。

 

POWER SOURCEは、とにかく新しくて、売れそうなポップさがあって、ROCKしてる。

 

掴めるかどうかギリギリの所で掴めた作品って感じで、ピーキーな印象があります。

 

音も独特、歌詞もキレキレだし、これぞロックバンドっていう印象です。

 

POP LIFEは、さらに攻めようとして、特に年長のリズム隊二人がついて来れなくて、結果的に上手くいってない印象です。

 

それでも狂気の片鱗みたいのはアルバムの随所にあって、ちょっと重たく聴こえる時があるけどメロディは非常にポップです。

 

メンバーのアーティスト性が浮き彫りになって、恐らく限界が見えてしまった作品。

 

WARPは、ビートルズでいうAbbey Roadです。

 

限界を知ったメンバーやスタッフが終わりに向かってベストスコアを狙って出した、そんな作品に聴こえます。

 

完成度が凄く高いし、攻めてる曲があって、そんな中にヒット曲もあり、みんながイメージするJUDY AND MARYの完成系だなって作品です。

 

一通り聴いて貰えたらなと思うんですけど、

作品を聴いててもこんな感じで、JUDY AND MARYって音だけで完結してないんですよね。

 

見てる世界を見せに来てくれるっていうか。

 

実際そこには10ぐらいのことしかないんだけど、100がちゃんと伝わってくるっていうか。

 

僕もバンドをやってたんですけどね。

 

僕はメンバーにもすら見てる世界を見せれなかった。

 

厳密にいうと、メンバーに対して要求が厳し過ぎましたし、お客さんにはもっと難しかったと思います。

 

これやったら、こうやろ、わかるやろ、と。

 

わからんってのが、努力不足や能力が無いって思ってました。

 

だって、JUDY AND MARYとか、The Beatlesは見せてくれるし、わかるもの。

 

と。

 

まぁそんなやつらが凄すぎただけでしたけども。

 

良いバンドってのは、見てる景色をね、共有してくれるんすよ。

 

多分僕らも1回か2回はステージから共有できた日があったと思うんですけどね。

 

ほんとに世界が変わるんですよ。

 

そこ覗いちゃうと。

 

でね。

 

何を言いたいかっていうとね。

 

最近は失敗ギリギリの作品がほんとに全然ないんですよ。

 

どれも良い感じなんです。

 

ていうか、良いんすよ。

 

それはそれで良いことなんですよ。

 

一定のベクトルでは良いという判定なわけですから。

 

ただ、僕的にはつまんないんすよ。

 

変なやつのテンプレとかじゃなく、真に異質な存在、個性、そういう人は今の世の中ではギター弾かないんだなって、そっちに納得いっちゃう。

 

もう何度も言ってますけど。

 

文化が発達するための起爆剤になる場所、人、モノ、そこはなんでもいいんですけど、セックスとバイオレンスがなければ爆発しないんすよ。

 

今で言えばyoutubeだし、youtubeはもう爆発し終わって安全空間になりつつある。

 

もう、次の火薬庫探さないとダメで。

 

タイミング的にはまたエアポケットだと思うんですよ。

 

そろそろ衝撃的なことを口走るヤバいやつがギター弾いたりしてもいいんじゃないの、と。

 

そう思うんすよ。

 

もちろんそれは若くて何も知らないようなやつですよ。

 

勢い凄いやつ。

 

やべーやつに出会いたい。

 

見たことあるようなのはもういらない。

 

 

オンナオンナ言うやつは理性と本能がズレてる

オンナオンナ言うやつにロクなヤツがいないこととかもうみんな知ってると思います。

 

基本的にオンナオンナ言うてるやつって女好きのヤツと違って女性に対するリスペクトがないんですよ。

 

それが態度に出てるから女性に嫌われるわけです。

 

なんでかそういうヤツって自分がモテないことに自覚がないことが多いんですが、なんでそんなことになんのかな、と考えたわけですよ。

 

そして行き着いた仮説が本能と理性が相反してるということです。

 

恐らくモテないヤツは生まれてからずっとモテてないわけです。

 

その中でもオンナオンナ言うてるようなヤツは根本的に女性から忌み嫌われて生きてきてる可能性が高い。

 

つまり、その状況をデフォルトとして捉えている。

 

だから自覚がない。

 

しかしです。

 

女性から受ける自分への対応は良くないことは体感してるはずなんですよ。

 

ナンボほどデフォルトだと思ってても、嫌なものは嫌なわけです。

 

本能的に女性を求めているのに、理性は女性に対してあまり良い印象がない。

 

結果、オンナオンナ言うけど女性に対してリスペクトがないヤツの完成、ということではないのかと。

 

理性=社会性なわけで、こういうことは恐らく他にも沢山あるように思います。

 

嫌なヤツは人から嫌なことをされてきてるんです。

 

だってやなヤツですし。

 

扱い悪いですよそりゃ。

 

ということはですよ。

 

その人の社会性はその人が生きる社会の写鏡なのではないかなと思うわけです。

 

他人が見てる世界は実は思ってるよりも見えるんじゃないかって思います。

 

 

 

また、そういう人達が何かで社会的に必要とされると、そこに価値が生まれるので、そこに依存した人間になってしまうのもよく見ます。

 

例えばお金。

 

お金にしか価値を感じて貰えない人間は、社会への強みがそこしかないんですね。

 

だからカネカネ言うてるヤツにもロクなヤツはいないんですね。

 

それが良いか悪いかは本人が判断すべきことですが。

 

 

ヒトは社会性を強めた結果、本能と乖離した生き方を強いられている。

 

社会が社会性を強いる結果が、凄く不自然だけど友達いないヤツを作ってるんですよ。

 

友達に対して良い印象ないから友達いないってことですしね。

 

生きてるだけでこんなにも社会性を求められるのに。

 

不自然だと思いますけどね。

 

 

こんなにも社会不適合な僕にも友達いるってのが一番不自然かもしれませんが。