さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

優しさはいらない

なんだか本当に色々なことが優しくなりました。

 

易しいんですよ。

 

こんな簡単な世界、おもしろいですか?

 

僕はあんまり楽しくないです。

 

本当に不必要、過剰なぐらいに優しい。

 

その結果、易しい。

 

パワハラモラハラ、確かに気分が悪いです。

 

でも、悔しくもないことを僕は全然頑張れない。

 

先輩に色々言われたかったし、それが的外れでない人に着いていこうって思ってました。

 

違うって思ったら反論すればいいだけで、何なら戦いになっても全然良かった。

 

僕は根本的に戦闘民族なので、そういう生き方が好きなんです。

 

もちろん、自分がマイノリティなのは知ってるいるので、もうそんなことはしません。

 

この世界のトレンドは、優しく、易しいですから。

 

でもね、それでも言いたい。

 

他人がそれでいいんだよ、と言ったからといって、本当にいいことなんて殆ど無いんです。

 

悔しくて悔しくて、夜も寝れないから努力して、それでも才能があって努力を止めないヤツに勝てなくて、だからまた悔しくてのループが、自分の限界を超えてく唯一の環境なんです。

 

セーフティネットの拡充が、社会の発展には必須です。

 

身体が不自由な人への配慮だって、高齢者や子供達が生きやすいシステムだって、絶対に必要です。

 

でも、僕は何も不自由じゃない。

 

身体も心も健康です。

 

人より強いぐらいです。

 

何なら平均的な人より勉強もできたし、ついでにイケメンです。

 

優しさの押し売りは傷の舐め合いにしか見えないし、押し売ってくるやつと同じレベルに思われるのが不愉快だし気持ち悪いです。

 

逆境や重圧と戦ってきたから成長できた、その自覚があるし、そういうのから逃げるのが本当に悔しくて嫌なんです。

 

もっと言えば、出来ないことを悔しく思う気持ちが否定されることにも耐えられない。

 

陸上競技に打ち込む人に、君の物理的限界はここだよ、それでいいんだよって言えますか。

 

僕はそんなこと口が裂けても言えません。

 

絶対に出来ないからって、悔しく思わなくていいわけじゃない。

 

もうちょっと言います。

 

酒の強要は犯罪だ!なんてツイートもよく見かけます。

 

確かにそこにこだわりのない人にはそれでいいし、救いになるでしょう。

 

でも、そこに拘りがあるなら、飲めないことを悔しく思えばいいんです。

 

人が飲める量は、個人差があり、限界がある。

 

それでも悔しいものは悔しい。

 

それでいいんですよ。

 

自分を無理矢理納得させなくていい。

 

色んな分野で、弱者に対する配慮は必要です。

 

でも、僕にはいらない。

 

僕は弱者じゃない。

 

大概の問題を解決する強さがあります。

 

そういう人は結構いるはずです。

 

そういうやつらと、僕は血が流れるくらいにやりあいたい。

 

遊び相手も、遊び仲間も、そういうやつらが一番楽しい。

 

何の利益にもならないことに、必死になって、熱い気持ちになりたい。

 

向上心と好奇心を、失いたくない。

 

自分の心の弱さに負けたくない。

 

僕は自分より強いやつらの中にいたいんです。

 

優しさの同調圧力はもういらない。