さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

インプットの時間

8月からこっち、自分の中の貯蓄を増やすべくインプットの量を増やしている。

増やす、ということは考え、理解する量も増える。

で、結果ほぼほぼインプットすることに徹している。



大きく分ければ、音楽に関することと、それ以外、ということになる。

音楽に関することは、いつどんな時も、それは単純に「好き」ということでもあるけれど、暮らしの一部になっている。

だから、増やす、と言えばそれ以外の部分になる。



3年前に出したアルバム、「CHANNEL OVERDRIVE」に収録されている「アイル・ビー・全部」と「ずっと変わらないと」という2曲がある。

この2曲は、自分を拡大しつづけることと、逆に自分の内に沈みつづけることを究極までやってみた曲だ。

そして至った結論は、皮膚の外側に自分を拡大していく中で自分を律しているもの、枠を形作っているものは社会、社会性と呼ばれるものであったこと。

逆に自分の一番内側、真ん中にあるのはただただエネルギーの塊であるということだった。

自分の真ん中にあるエネルギーの塊は、おそらく本能と呼ばれる生への欲求だと思う。

感情や性格、環境や教養等あらゆる条件を押しのけて存在し、どの方向へも指向性を持たないエネルギーの塊であったので、多分それは本能だと思う。



自分を解放し、拡大を続けると社会性という強固な枠とぶつかることになる。

本能と社会がぶつかり合う時、そこに響く不協和な音に自分は美を感じていた。

このことをもう少し深く、もっと強く感じたい、その為の知識を得たいという欲求は以前からあったのだが、ようやく最近重い腰を上げるに至った、というわけだ。



今までは、心理学や精神医学の方向性から色々と調べたり、学んだりしていたのだが、最近は生物学の方向からアプローチすることで、かなり自分の中で納得いく成果があった。

心の在り方だけでなく、生物としてのヒト、という概念が無かったのだと思う。



ヒトの集団は社会を形成し、ヒトは社会性を持つようになった。

しかし社会性はヒトの根源的欲求である本能を本質的に否定する。

ではなぜヒトは本能を否定するシステムの中で種の保存と拡大を実現しているのか?

なぜか?

ここからはちょっとタダでは教えられない。



「IS (not) DEAD」アルバムが、色んな所で好評なのは、もちろん複合的な理由があるからだが、サイコキというバンドが本質的に持っている本能の肯定、という特徴が社会に対して脅威でなくなってきたからではないか、とおれは推測している。

具体的に言えば、21世紀に入ってからこっち、社会性よりも個人としての人の心を重視するような流れがあり、3.11、東日本大震災を機にそれが加速度的に進んだことが理由ではないかと思う。

もちろん、それは単純に本能の肯定ということではない。

しかし生きることにリアリティを持てなくなっていた20世紀の後半から、死ぬことのリアリティを捉え直すような流れがあるのは間違いないと思う。

自分というものをどういう風に消費するのか、という部分が、どんどん相対的な価値よりも主観的な価値へと置き換わっているのを見ても明らかだ。



リアリティのある死という概念を前にして、人の取りうる選択肢の幅は広がった。

ほんの数年前なら、気が狂ってるとか、頭がおかしいと言われたようなことでも、皆が理解出来るようになっていると思う。



問題は、どれだけの人に実感を与えられるか、だと思う。

人の価値観は多様化している。

が、しかしそのパターンというのはヒトという種が社会を形成している限り実は多くはない。

今はこの部分で、導火線に火を点ける方法を、または起爆剤となる方法を模索している。



一人の人間としての影響力はちっぽけだが、波風立たないとも限らない。

あと50年前後は生きるだろうし、それだけあれば十分じゃなかろうか。

すくなくともそいうことを考える人間もいて良いと思っている。

九月もどんどんインプットしていきたい。






ここからは宣伝。

おれがやってるバンド、PSYCHO kui METALLICSのライヴの予定です。

このブログは趣味に走りすぎていて何をやっている人かまったく解らない、と言われましたので。



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