さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

どうしてだろう

8月6日は広島に原爆が投下された日だ。

原爆の日として平和式典が開かれている。




安倍首相は、そこで原発の話をしていた。

安倍首相は、硫黄島の滑走路の下に埋まっている遺骨を滑走路をひっぺがしてでも取り戻そうとするような人だ。

そこには戦没者への敬意が感じられたし、先人達への感謝の意が読み取れた。

決して人気取りではない、と思わせる気持ちがあった。




坂本龍一さんと吉永小百合さんは、原爆の詩と併せて原発の詩を読んでいる。

坂本龍一さんは、日本の音楽史上に残る天才だ。

自分も彼の音楽が好きで、CDを何枚も持っている。

吉永小百合さんも、祖父祖母の世代には絶大な人気を持っているし、今なお美しい日本が誇る女優だ。

映画で何度も見た事があるし、その佇まいは他の人とは違っている。




吉川晃司さんは、imagineの歌詞を変え、放射能いらない、被爆いらない、と歌った。

ソロの吉川さんは不勉強にしてあまり詳しくないのだけれど、布袋さんとのユニットcomplexは大好きだ。



でも。

原爆と原発を同列に語るなんて、信じられない。

不謹慎だと思えるレベルだ。

どれだけの人が原爆の犠牲になり、どれだけの被害が出たのか知らないのだろうか。

ある人から聞いた原爆体験の話は、それはもう壮絶なものだった。


ある人の母は屋根の上で原爆を受け、その人が帰った時にはおばけのようだった、とおっしゃっていた。

垂れ下がる皮膚をはさみで切った、と。

やっとの思いで手に入れたやけど薬を、母はお前の為に取っておけといった、と。




原爆と、原発事故、災害を同じように語るなんて、どういう神経をしているのだろう。

人と人が争い、そして行使された、人を殺すための兵器と、発電用の機器の事故。

それを特定のイデオロギーの喧伝に使う行為。

率直にいって気分が悪いし、腹が立つ。

いやいや、お前等わきまえろよ、と。

犠牲になった方への祈りを捧げるべき場所で、言うべきことなのか。




個人的には、核武装議論があっても良いと思っている。

核エネルギーに変わるエネルギーがあるなら移り変えればいい。

だけど、時と場合があると思う。

お前らがくだらない思想やイデオロギーを振りかざしてメシを食えるのは、その昔誰かが犠牲になったからに他ならない。

感謝こそすれ、我々にはかける言葉もない。

少なくとも自分はそう思っている。








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このブログは趣味に走りすぎていて何をやっている人かまったく解らない、と言われましたので。



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