さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

オタクの変質について

オタクというのは、何かをとてつもなく好きになった人のことである。

一つの分野に特化した知識を持ち、本質的にその対象を溺愛している。



古来よりオタクは、その愛情の深さを対象に対する興味で示してきた。

それは行動に反映され、知識としてその人の中に蓄積されていたのだ。

ネットが普及し始めても、それはずっと変わらないように思われた。

しかし、そうではなかった。

知識はウェブ上に保管されるモノになったからである。



オタクという性質は、あまりポピュラーではないモノを好きにする。

その為、10年程昔にはその興味の対象に関する情報が本当に手に入らなかった。

おれはやたらめったらメタルに詳しいが、その知識はすなわち時間とお金と汗と涙の結晶なのだ。

まだネットは普及しておらず、ブックオフもない時代。

自分の足でレコード店を周り、古書店を巡って集めて出会った知識なのだ。

中古屋のおっさんと仲良くなり、次はこれを聴くといいよ、等とそそのかされていた。

その伝説を聴き、まんまとCDやレコードを購入したりし、古いBURRN!を買い漁り、インタビュー集のブートレッグにまで手を出していたのだ。

つまり、誰も知らない、興味のないような事を知っていることがそれすなわち愛の深さであった。



2013年現在、おれの中に蓄積されている情報はネットでほぼ収集できる。

誰も持ってないレコードだったものが、youtubeで聴ける。

そう、愛の深さは知識の量ではなくなったのだ。



では、今現在の愛情の深さとは何なのか?

それは、経験そのものなのではないかと思う。

その人だけのオリジナルな関わり、能動的な関わり方で愛情の深さを誇っているのではないだろうか。



オタクは、排他的な存在だと受け止められている。

事実、そうなのだろう。

興味の対象を知らない人と話をしてもちっとも楽しくないからだ。

しかしそれは厳密には間違っている。

オタクは自らの愛を誇示したいのだ。

相手に勝ちたいと願っているのだ。

それが、ネットという膨大な情報、そして同類を前にした時、その性質は変化した。

愛の形の多様さを知ったからである。

ガンダムの知識なら誰よりもある、そう思っていたオタクは、コスプレイヤーには興味が無かったとしよう。

しかしネット上で彼らは出会ってしまうのだ。

SF的知識なら絶対に負けないと思っていたのに、実際にコスチュームを着てみた人の現実的な感想に打ちのめされる。

そして気付く。

同じなのだ。

二つの愛は形こそ違えど同じなのだ。



今のオタク文化は普通の人から見た時に、実体を伴っていないように見えるのではないだろうか。

架空のキャラクターへの愛情や、設定そのものを愛していたり、無機物への愛情、競技そのものを愛している等多種多様である。

そしてその楽しみ方はとても高度なモノになっている。

そう、知識等なくても良いのだ。

好きという感情、熱意が大きいことこそがオタクのオタクたる所以なのである。

熱意の発露が、フィギュアを集めることになった人もいるかもしれないし、山野でモデルガンを抱えて走り回ることかもしれないし、プロ野球選手のSTATSを算出することかもしれない。

それは全て同じことなのだ。

全く違うジャンルのオタクを掛け持ちしてる人が多いのはその為なのだろうと思う。

もうあんまり他人と比較することは意味を失ったと思ったほうが良い。



古参のオタクの方々は、知識を披露するよりもその体験を語った方がウケると思いますよ。