さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

自分の能力を活かす

今日偶然に知り合いに会った。

彼は両親ともにイギリス人で、見た目完全にイギリス人なのだ。

幼い頃から日本語はペラペラだがもちろん家での会話は英語なのでネイティブスピーカーだ。

そんな彼は高校生の頃にはバンドをしており、その後音楽系の学校に進学していた。

高校生最後のライヴはおれも観に行ったのだけど、今日までほぼ連絡もなく。

偶然今日会ったのである。



学校で研究していた音楽の話等聞いていておもしろかった。

もともとメタル好きだったのが途中からノイズ系の音楽にハマり、最終的に前衛的な音楽を研究していたようで。

個人的に興味のあるジャンルの話を結構ちゃんとできて楽しかった。

無駄に多趣味なおれの音楽知識もようやく役にたったのであった。



しかし彼ももう卒業を目前としているが就職が決まっておらず、今日も採用の連絡が無かったらしい。

じゃあ今なにしてんの?と聞くと、外国人が登録出来る派遣のようなシステムがあって、そこから少しずつ仕事をもらっているという。

彼はイギリス人なのでもちろんイギリス英語なのだが、日本にはアメリカ人は多くいるそうだがイギリス人は少ないらしく、イギリス英語の朗読やナレーションの仕事がちょこちょこあるらしい。

日本人が習う英語は基本アメリカ英語なので、需要があるらしい。

本の翻訳をやったりもしてるそうで、映画の字幕や吹き替えのには違和感を感じるそうだ。

あ、あとハリーポッターの翻訳の人は自分の気持ちを反映しすぎてると言っていた。

なんでもスネイプ先生は原文を読むとイギリス人的には嫌みなヤツらしいのだが、翻訳を読むとストレートに嫌なヤツになってしまってるらしい。

そもそもイギリス人のジョークはセンスが独特で日本人的に意味がよく掴めないことも多いがよね、と言ったら、それはただのダジャレが凄く多いからだろう、と言ってた。

それを訳すとよくわからん話になるらしい。



その派遣のエージェントからくる仕事はそれだけではなく、何かテレビに出る仕事等もたまにやってるそうで。

おはよう朝日のコーナーに、ウーマンラッシュアワーと外国人が日本の個人商店に何かを教えてもらう、みたいなコーナーがあるらしく、それに2ヶ月に1回位のペースで出ているとか。

なかなかおもしろそうである。

現在放送中のNHK朝の連続ドラマにもエキストラで出たりしているらしい。

もうすぐフジかなんかでやる女信長というドラマにもエキストラで出てると言っていた。




だけどそういう仕事は月に何本かなので、到底暮らしてゆける程ではないらしい。

いつも思うのだけど、なぜ日本の企業は原則副業禁止なのだろう。

仮に彼が普通の企業に就職すれば、今やってる仕事は出来ないと思われる。

もちろん彼の持つ英語力に目をつける企業もあるかもしれない。

でも特に彼の能力と関係ない仕事に就くことだってありえる。



思うのだが、週3日とかで正社員採用するシステムを立ち上げる企業ってもうあるのだろうか。

副業もオッケーの、そういう企業。

そういうスタイルこそが今求められるのではなかろうか。



8:2の法則というのがある。

実質的に仕事は常に2割が担っている、という法則である。

仕事をしたがらないヤツ、仕事が出来ないヤツ、仕事をやりたいのに能力が足りないヤツ、そういうのが8割なのだ。

そして残酷なことに、おれがみる限り仕事が出来る人間というのは、根本的に人としての能力が高いのだ。

なので色んな場面で有能なのだ。

つまり、である。

これが得意、とかそういう感じじゃなく、社会全体が2割を求め、そうでない8割はあまり求められないのである。

すでに日本社会は成熟し、誰でも出来る仕事は誰も求めていない。

有能な人材は枯渇している。



なればこそ、有能な人間を共有するシステムを立ち上げるべきだ。

何やらせても有能な人間の価値を最大限に引き出す必要がある。

数社で共有すればいいと思うのはおれだけなのだろうか。

とにかくどこも人手不足なのに就職難、というこの時代は明らかに優劣がつき過ぎている結果だと思う。

なら、週に3日は有能な人間に来てもらって、残りの4日をあまり有能でない人間何人かで凌ぐ、みたいな方が企業としても絶対良いと思う。



わかりにくいしややこしいと思う方もいるかもしれない。

では野球で考えてみよう。

弱小チームAと強豪チームBがいたとする。

Aにはお金がなく、強い選手は雇えない。

Bはお金もあるし人気もあるが、レギュラー争いが厳しく、クビにもなりやすい。

ではここで、AはBにいる有能で給料の高い選手を、給料半分出すのでシーズンの半分程度Aチームの選手として使わせてもらえないか?と申しでた。

Aはシーズンの半分だが半分の給料で選手を雇える。

Bは強豪なので、穴をうめる選手がいる。

選手自体はもらえるサラリーに違いはなく、環境に変化も生まれ新しく得るものがあるかもしれない。

仮に不振でも、レギュラーとして試合にでる可能性がぐっと高まるのである。

ね、なんか良い感じじゃないですか?




ここで一つ問題があるとすれば、大きい企業が自由とかそういうの我慢できる位の大金を出す、という可能性があるということ。

ダブついても有能な人材を他社に流さず競争に勝とうとする、そういう戦法できた場合は成立しない。

大学スポーツレベルでもこういう話は聞くので、多分本当に優秀な人間の間ではこういうことが起こっているのかもしれない。




しかしである。

雇用の流動性はただ単に契約が短期になるだけではない。

人そのものが多様になっているのだ。

価値基準がより一層多様になっている。

一人の人間がテレビに出る仕事と翻訳の仕事をやりつつ企業からも働きに見合った固定給を貰う、そういうシステムが必要だ。

もちろん会社の傘下に入るというより、個人と会社の契約という側面が強くなる。

責任は大きくなるし、事務的な作業も多くなるかもしれない。

それでもおれは、こういうシステムをやり始めた会社が勝つ勝算は高いと思う。