さとさまの日常

京都のROCK BAR DIRTオーナー、さとさまの日々の覚え書きを書き記す。

インフルエンザになりまして

またインフルエンザに罹ってしまった。

もうほんと毎年のようにインフルエンザに罹っている。

ここまでくるとインフルエンザ慣れしてしまい、検査なぞせずともあ、これはインフルエンザだな、インフルエンザ特有の症状だな、とわかるようになる。

インフルエンザと言えば、急な発熱、それに伴う寒気、関節の痛みなのである。

2日前、私は我らがPSYCHO kui METALLICSの新しいフライヤー(チラシね)をライヴハウスやスタジオに置いてもらうべく奔走していた。

街には警察官や緑のおじさん達がいるので、本当の意味で奔走しなければならない。

車を止めてから店舗までの距離を基本ダッシュで移動する。

5分以上で駐車違反を取られてしまうからだ。

そんなに焦らなくても、と思われるかもしれないが、京都の街は平安京の時代から街の大きさが変わっておらず、相対的に道路は狭い。

1200年前の人達には車道/歩道という概念や何車線であるか等の概念はなかった。

結果一番交通量の多い通りが片側2車線しかない。

そこに路駐するのだ。

緑のおじさん大活躍だ。

SAGAWAの人ですら容赦なくいかれるのだ。

くそ!官憲の犬め!

おれもそんな仕事でお金を貰いたい!



いや。話が逸れてしまった。

とにかく配布物を置いてもらう営業活動はシャトルランであるのだ。

普段ならばどんなに気温が低くとも息はあがり、体温は上昇し、気がつけば汗を流している。

今回は部数がすくなく、普段の5分の1くらいしか回ってないということもあるにはある。

しかし、である。

なぜか走っても走っても暖かくならない。

むしろ寒いし吐き気もする。

いや、寒いしね。

こんだけ走れば吐き気もするよね。

などと思って自分の体に走るその予感を見ないようにしていたのだった。



ようやく予定の店舗を回り終え、家路に着いた時には23時になろうとしていた。

私はこの体調不良もここ数日の忙しさや疲れの現れであろうと思い、肝要なのは栄養補給である、との結論に達した。

とにかく食って寝れば体調は回復しているに違いない。

その為に精がつきそうな物を食さねばならない。

私は何をトチ狂ったか、体調が良くないのに関わらず、ここで王将の餃子をチョイスしてしまった。

餃子は単体で炭水化物、タンパク質、ビタミンを接種できる素晴らしい食べ物である。

しかしそれは健康時に限ってのことであり、体調に不安がある時にはニンニクの香りやお腹に対する重みは明らかにバッドチョイスであった。

1個目に箸を付けた私は悟った。

あ、これは無理じゃね?と。

しかしこの期に及んでも私は自らの状態を過信していた。

いけんだろ、と。

食わなきゃ始まんねぇだろ、と。

結論として、私は食べた。

おおよそ2人前を、少し残しはしたが食べたのだ。

その後どうなったかはもうおわかりだろう。

激しく気分は悪くなった。

そしてお腹がとっても重い。



とにかく風呂に入って眠ろうとした。

しかしお腹の底から上がってくる不穏な空気に苛まれ、なかなか寝付けない。

上から出す、ということは私のプライドが許さなかった。

餃子よ、お前には消化され、栄養を我が体に提供し、しかるべき器官を取ったのちに下から出てゆく以外に道はない。

タイマンであった。

餃子は2人前であったので、もしかしたら多対1の戦いであったかもしれない。

だが私は勝った。

嘔吐することなくこの難局を乗り切ったのだ。

ようやく落ち着きを見せてきた体に明確な異変が訪れるのは深夜も2時を回った頃である。

布団にくるまり、眠気を感じ始めていたころ。

なんか寒い。

いや、急にめっちゃさぶい。

どういうことこれ。

だめだ、とりあえずストーブを点火しよう。

あれ、室温が上がってきて、尚かつ布団にくるまってるのに寒気が止まらない。

靴下も履いたし、マフラー代わりに首にタオルもまいた。

布団だけでは寒いのでブランケットをその上に配置した。

しかし、強烈な寒気はとまらない。

とどまるところをみせない。

ああ、ロマンティックもこんな風にとまらなかったのかな、などと朦朧とし始めた意識の中で考えていたのだが、多分違うということが解る程度にはしっかりしていた。

そして気付くのである。

これ、寒いんじゃなく、発熱してるんじゃね?

と。

そうなれば私には連鎖的に思い当ることがある。

普通の人ではそうはいかないかもしれないが、こっちはもう人生において10回近くなっているのだ。

インフルエンザである。

鼻もノドも正常なのに、急激に発熱し、関節が激しく痛む。

元来体温の高い私は、普通の風邪なら39度を越えてもわりかし平気だ。

しかしインフルエンザの時は38度台でもとても辛い。

体温計を見てナメてかかかると死ぬ思いをする。

そう、これはインフルエンザだ、と確信した。



私はひたすら朝をまった。

寒すぎてマトモに眠れなかったがとにかくもう今は出来ることがない。

インフルエンザには市販の薬は効かないのだ。

ようやく朝日が差し、病院が開く時間になった。

発祥して半日経たなければ検査に反応しないことは知っていたが、病院によっては検査に反応が出なくてもタミフルを処方してくれる所があるのだ。

インフルエンザ慣れしている私はそのような病院も既に把握しているのである。

ここで処方してくれない病院へ行ってしまうと、熱は下がらず辛いままで、もう1度病院へ行くことになり、医療費も倍かかってしまうのである。

インフルエンザ慣れしている私は、本来9時からの外来である医院も事前に電話してインフルっぽい旨を伝えればフライング診察してもらえることを知っていた。

フラ察である。

8時20分頃に電話を入れ、予定通りフラ察の許可を得た。

既に外出する準備を整えていた私は颯爽と家を出、そこでハタと足を止めた。

雪だ。

すげー雪だ。

雪が積もり始めていた。

こんな時に!

と思ったが行くしかない。

私は原付に降り積もった雪を払い落とし、大粒の雪が降る中を病院に向かう。

まだ道路には雪は積もっていない。

これならいける。

めっちゃ寒いけど。



なんとか病院にたどり着いた私は、雪を払い落とした後に病院に入り、受付を済ませ体温を計り、横になって待ちますかとの問いの笑顔で断りをいれ、血圧を計り、相変わらず低い血圧を見た受付の人が心配してくれて結局横になって待つこととなり、検査をしても反応するかわからないので検査を省略し、無事タミフルをゲットした私は帰路に着いたのである。



雪は私が病院にいた短い時間の間に弱まっていた。

にも関わらず刻一刻と悪化していく体調のお陰で帰宅するころには死にそうになっていた。

手早く着替えてタミフルを投入し、私は眠りについた。



目覚めるともう17時を回っていた。

体調はかなり安定している。

さすがタミフル

体温も37度台だ。

この間に私がインフルエンザを発症してしまったこと、それに伴う各方面への手配を済ませる。

一番大変なのは、レコーディングまで2週間を切っている新曲のアレンジが固まっていないこと。

これはもうメンバーを信じて託すしかない。

リズム隊主導で固めてもらい、それに合わせて曲全体を固める方向でしか間に合わない。

果報は寝て待て、だ。

インフルエンザになって何が一番めんどくさいかと言えば、熱が下がっても人にうつしてしまうこと。

去年は自分発信で周りの人が4人まで感染した。

そっから先の感染者は確認していないが、同じペースならきっと学級閉鎖クラスの1つや2つは生まれているだろう。

つまりである。

スタジオ等という密室に籠って作業するなんてとんでもないことなのだ。



とりあえず連絡は済ませた。

また眠りに就いた私が次に目覚めた時には22時を回っており、今日一日水しか口にしていなかったので食事をとった。

全然食べられなかったが以前としてお腹の中には餃子がその存在感を主張しており、なんか大丈夫な気がした。

昼間に寝すぎた私はその後朝まで眠ることができず、今に至る。



もうさすがに来年からは予防接種を受けようと思う。

こんなになってんだからもうならないっしょ、という考えは奴らには通用しないのだ。

ヒドい時はA型とB型の2回罹ることだってあったのだ。

何か負けたような気がする、というわけのわからない思想は捨てなくてはならない。

意識改革である。

来年の予防接種の時期が来た時に、また私がインフルエンザにまつわる種々のめんどくさいことを忘れてしまっている時の為にこのブログを書き記しておく。



P.S.この無駄に長い日記を書くに辺り消費した時間は約90分にも及ぶ。
  
  こんな日記書くのもめんどくさいので予防接種をぜひ受けて頂きたい。