いなくなるということ
京都から音楽を発信してるバンドは沢山いる。
メジャーでもインディーでも。
みんなが知ってるような有名なバンドも、自分にとってはそう遠くない先輩だったりするし、話を聞く機会も多い。
でも、やっぱりライヴハウスで頑張ってる直の先輩が一番身近なわけで。
我々サイコキはなんやかんや10年やっているので、バンドの終わりを看取る機会も多々あった。
本気で音楽をやってきた人が音楽から離れていくというのは、とてつもない決断で。
少なくとも人生の大部分を音楽の為に費やしていたのだから、失うものも沢山あるのだと思う。
しかし、現実には成功するどころか活動を維持することがまず難しい。
一人なら、自分の気持ち一つだ。
けれど、バンドは多人数で成り立っている。
互いの人生を互いに預け合っている。
誰かが怠ければ、他のメンバーの人生が遅滞する。
それがバンドなのだ。
演奏できる人間が集まっているだけの集団がバンドではない理由は、そういう部分が圧倒的に違うからだ。
メンバーに恵まれなければ辞めるしかない、それがバンド。
昨日SOULJACK76というバンドが活動休止を発表した。
どんどん先輩バンドが一線を退いていく中で、SOULJACK76だけはずっと続いていくのだと思っていた。
自分達が辞めても、SOULJACK76はいるんだと思っていた。
それくらいバンドとして間違いなかった。
あの3人は絶対にSOULJACK76なのだ。
サイコキの10周年企画にもぜひ出てもらおうと思っていたのに。
残念でならない。
正直キツい。
どんなに確かなバンドであろうと、終わりはあるのだ。
色んなこと乗り越えて、バンドは成立している。
ずっとやってるからって、いつでもいる訳じゃない。
どういう理由があるのかはわからない。
もう一度歩き出したとしても、一度立ち止まればもう違ってしまうかもしれない。
バンドという単位の生き物なのだ。
おれはまだ後輩達に教えてもらった事を伝えてない。
ないにも関わらずもう10年経ってしまった。
早くでてこい、京都のロックバンド。