右脳的左脳的
アート、芸術的な分野はいわゆる右脳的な分野だと思われているのだけど、音楽に限らずアート、表現は右脳的な側面のみで発展してきたわけではない。
殆どの分野に通じることだが、まず原始的なスタイルが出来上がる。
新しい表現を、とアーティスト達が切磋琢磨していく中で新しいスタイルは生まれてくる。
原初の姿はその前の形と違いが殆どないのだが、エポックメイキングな革新がそこにある。
大事なのは、それ自体は右脳的に発生しているということ。
センシティブにそれを求めた結果生まれる事象であり、システマティックな革新ではないことが多い。
しかし、新しく生まれたスタイルが確固たるものになるためには左脳的発展が必要になる。
法則性が見出され、発見され、ルールが確立していくのだ。
こういったシステム的側面からの補強はとても大事で、センシティブでない人々、右脳的でない人々に新しいスタイルの良さを伝えるためにはこういう取り組みが必要不可欠なのである。
ルール、スタイルが洗練され、確立されたとき、また右脳的な発展が始まる。
自由を求める動きが革新を生む。
クラシック音楽が教会音楽から現代音楽まで発展してきた歴史をみてもそうだし、絵画の世界でもそうだ。
ジャズのようなポピュラーミュージックでも同じような流れが読み取れるし、マンガでも同じ。
基礎、地盤、前提条件が確立してこそ自由な表現は生まれると言っていいと思う。
しかし、ロックに限ってはそうではない。
システムが確立されるより早くより自由を求め、そしてそれが受け入れられた歴史がある。
例えばビートルズがロックの可能性を拡大し続けている真っ最中にジミ・ヘンドリックスがあらわれている。
ビートルズやツェッペリンのアルバムがロックの教科書として今も聴かれているのは誰もが知っているのだが、そういった一つの答えが出る前にジミ・ヘンドリックスのサウンドは大衆をノックアウトした。
そして重要なのは今もなおジミのサウンドは自由であり、誰にも定義できないということ。
ロックが生まれてから60年、現在でもメインストリームに居座っているのはそれが理由ではないかと思う。
ロックの価値観の中に、原初から自由さや新しさが折り込まれていたことが特殊な発展に繋がったのではないだろうか。
ロックの定義はとてつもなく広い。
というよりも、その他のジャンルから溢れた音は大体がロックになる。
その昔ジョン・レノンはチケット・トゥ・ライドを指して最初期のヘヴィ・メタル、とコメントしたが、受け手側に委ねられる自由度が高いこともそのまま表現おける自由度に繋がっていると思う。
ロックは自由を体現した音だ。
男性は右脳と左脳を同時に使うことを苦手にしているらしい。
だけど、ロックに関しては右脳と左脳どちらも使えなくてはならない。
音符の長さだけで考えていては、右脳を使えていないことになる。
体感するということ、グルーヴの概念が特に弱い日本人は、今後右脳的なサウンドを理解できるようになれるかどうかが最大のテーマになっていくのではないかと思う。
言葉やルールは左脳的なことで、なくてはならないことである。
しかし、言葉や慣習を越えていくには、右脳的な部分、センシティブなフィーリングがなくてはならない。
そしてどんな民族であっても共通するものはリズムだと思う。
聴き手がグルーヴに対して高い意識を持てば、日本のロックはグルーヴを意識せざるを得なくなる。
そうなれば日本のポップカルチャーも世界で通用するとおれは思う。
とかえらそうなこと言ってますがライヴがあります。
2月6日(水)
『真冬のLabフェスやっちゃいまshow!~music Laber vol. 4~』
心斎橋 club jungle(web:http://www.clubjungle.jp/)
開場 17:30
開演 17:45
前売 \2,000
当日 \2,500 (+1D)
出演 Hi-Lab,Hi-Lily,GIA RHYTHM,AYA1000RR,HIBINOBAND,山岡七海,PSYCHO kui METALLICS
日付かわって本日になりますが、良かったら遊びにきてください。
殆どの分野に通じることだが、まず原始的なスタイルが出来上がる。
新しい表現を、とアーティスト達が切磋琢磨していく中で新しいスタイルは生まれてくる。
原初の姿はその前の形と違いが殆どないのだが、エポックメイキングな革新がそこにある。
大事なのは、それ自体は右脳的に発生しているということ。
センシティブにそれを求めた結果生まれる事象であり、システマティックな革新ではないことが多い。
しかし、新しく生まれたスタイルが確固たるものになるためには左脳的発展が必要になる。
法則性が見出され、発見され、ルールが確立していくのだ。
こういったシステム的側面からの補強はとても大事で、センシティブでない人々、右脳的でない人々に新しいスタイルの良さを伝えるためにはこういう取り組みが必要不可欠なのである。
ルール、スタイルが洗練され、確立されたとき、また右脳的な発展が始まる。
自由を求める動きが革新を生む。
クラシック音楽が教会音楽から現代音楽まで発展してきた歴史をみてもそうだし、絵画の世界でもそうだ。
ジャズのようなポピュラーミュージックでも同じような流れが読み取れるし、マンガでも同じ。
基礎、地盤、前提条件が確立してこそ自由な表現は生まれると言っていいと思う。
しかし、ロックに限ってはそうではない。
システムが確立されるより早くより自由を求め、そしてそれが受け入れられた歴史がある。
例えばビートルズがロックの可能性を拡大し続けている真っ最中にジミ・ヘンドリックスがあらわれている。
ビートルズやツェッペリンのアルバムがロックの教科書として今も聴かれているのは誰もが知っているのだが、そういった一つの答えが出る前にジミ・ヘンドリックスのサウンドは大衆をノックアウトした。
そして重要なのは今もなおジミのサウンドは自由であり、誰にも定義できないということ。
ロックが生まれてから60年、現在でもメインストリームに居座っているのはそれが理由ではないかと思う。
ロックの価値観の中に、原初から自由さや新しさが折り込まれていたことが特殊な発展に繋がったのではないだろうか。
ロックの定義はとてつもなく広い。
というよりも、その他のジャンルから溢れた音は大体がロックになる。
その昔ジョン・レノンはチケット・トゥ・ライドを指して最初期のヘヴィ・メタル、とコメントしたが、受け手側に委ねられる自由度が高いこともそのまま表現おける自由度に繋がっていると思う。
ロックは自由を体現した音だ。
男性は右脳と左脳を同時に使うことを苦手にしているらしい。
だけど、ロックに関しては右脳と左脳どちらも使えなくてはならない。
音符の長さだけで考えていては、右脳を使えていないことになる。
体感するということ、グルーヴの概念が特に弱い日本人は、今後右脳的なサウンドを理解できるようになれるかどうかが最大のテーマになっていくのではないかと思う。
言葉やルールは左脳的なことで、なくてはならないことである。
しかし、言葉や慣習を越えていくには、右脳的な部分、センシティブなフィーリングがなくてはならない。
そしてどんな民族であっても共通するものはリズムだと思う。
聴き手がグルーヴに対して高い意識を持てば、日本のロックはグルーヴを意識せざるを得なくなる。
そうなれば日本のポップカルチャーも世界で通用するとおれは思う。
とかえらそうなこと言ってますがライヴがあります。
2月6日(水)
『真冬のLabフェスやっちゃいまshow!~music Laber vol. 4~』
心斎橋 club jungle(web:http://www.clubjungle.jp/)
開場 17:30
開演 17:45
前売 \2,000
当日 \2,500 (+1D)
出演 Hi-Lab,Hi-Lily,GIA RHYTHM,AYA1000RR,HIBINOBAND,山岡七海,PSYCHO kui METALLICS
日付かわって本日になりますが、良かったら遊びにきてください。